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東京都-「尖閣寄付金」の口座開設! ニュース記事に関連したブログ

2012/04/28 04:17

 

 

 

 

有言実行。かつ、粛々と、そして、素早い行動。流石、
 
б(≧◇≦)ノ ・・・流石、石原都知事だぁー!
 

 

而して、ことが「寄附」ということですから、
これ以上のコメントは割愛というか自粛させていただきます。
各自でご判断いただければと思います。
 

以下、判断のための資料転記。
 
要は、
 
▼振込先:
 みずほ銀行東京都庁出張所・普通口座1053860「東京都尖閣諸島寄附金」
 (10万円を超えるなど、現金自動預払機ATM)で取り扱いができない場合は、
 都から専用の振込用紙を送付する)
 
▼連絡先:
 都知事本局尖閣諸島寄附担当(03-5388-2206:平日午前9時~午後6時)
 
▼東京都の当該ホームページURL:
 ・東京都尖閣諸島寄附金について(東京都知事本局・平成24年4月27日
)  

 

http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2012/04/20m4r200.htm
 

 

 

 

 

 

◎「尖閣寄付金」の口座開設 振り込み先は…
 
【都の尖閣購入計画】
東京都の石原慎太郎知事は27日、沖縄県・尖閣諸島購入問題について「尖閣諸島寄附金口座」を開設したと発表。現地調査のための上陸許可申請など、実務を担当する7人態勢の専従組織を、5月1日に設置することも明らかにした。
 
石原知事は、尖閣諸島購入の寄付金が、都庁に現金書留などで計37件、計数十万円寄せられていることを明らかにし、「10万円入っているものもあった。インターネットにも問い合わせや協賛の声があり、ありがたい」と語った。
 
国はこれまで、「平穏かつ安定的な維持及び管理」を理由として、島への上陸を認めてこなかったが、石原知事は「国が許可を下ろさなければ、下りるまでやる」と語気を強めた。
 
石原知事はこれに先立ち、野田佳彦首相と首相官邸で会談し、米軍横田基地の軍民共用化を29日からの訪米でオバマ大統領に提起するよう求めた。尖閣問題については、「(首相に)一番の障害は外務省だと事例を挙げて言った」と説明した。
 
寄付金の振り込みは、みずほ銀行東京都庁出張所・普通口座1053860「東京都尖閣諸島寄附金」。10万円を超えるなど、現金自動預払機ATM)で取り扱いができない場合は、都から専用の振込用紙を送付する。連絡先は都知事本局尖閣諸島寄附担当(電)03・5388・2206(平日午前9時~午後6時)。都のホームページ にも案内がある。

 
(産経新聞・2012/04/27 23:41

 

 

 

 

 

 

真理似寒梅 敢侵風雪開
 
真理は寒梅の似し
敢えて風雪を侵して開く
 
しんりはかんばいのごとし
あえてふうせつをおかしてひらく
 
(新島襄)

 

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関連ニュース

AKB48-前田敦子さんの次のセンターは? 「大家志津香」ちゃんに5000点!

2012/03/29 10:08

 

 

 

 


真面目な話し、前田敦子さんの次のセンターは「大家志津香」なのではないか。
そう考えています。そもそも、そもそも・・・
 
AKB48のセンターとはそもそも何? 
 
この「大穴」狙い予想は、「彼女=AKB48のセンター」にはどんな機能と役割が、
よって、資質が求められているのかを考えた上での私見です。
 
もちろん、私自身が志津香ちゃんのファンであることがこの予想に影響を与えていないと
言い切る自信はありませんが、それにしても、志津香ちゃんと同じくらいフアンの
(しかも、多分、not "no less than," but "not less than")柏木由紀ちゃん、ゆきりんちゃん
ではなく「大家志津香」を予想したについてはやはりそれなりの理由があることではある。

 

 

 
 
 
 

つまり、AKB48のセンターとは、ソロを張れる技量(歌手/女優)で最優秀や最も人気があるというより、そう、サッカーで言えばポストプレーの中軸、文字通り「センター」の役回りに秀でたメンバーではないか。他方、それは他のメンバーをまとめるゲームメーカーや主将に求められる役回りとも異なるだろう。つまり、AKB48のセンターには、川澄選手とも澤選手とも、そして、宮間あや姫とも違う機能と資質が求められているのではないか、と。結論から先に書けば、
 
AKB48のセンターとは、他の多彩な<同僚アイドル>を際立たせる(ⅰ)安定感と、
(ⅱ)誤解を承知で書けば一種の「おもしろみのなさ=無色透明さ」、それでいて、
(ⅲ)光る何かがなければならないのではなかろうか

 
と、そう感じるのです。ちなみに、前田敦子さんの場合の「光る何か」とは、本人自ら述べられたように、(a)自分でももてあましてしまう程の「感情の起伏の激しさ」を秘めた、(b)鈍感なまでの、ターミネーターの如き無表情な鉄の意志なのでしょうか。
 
いずれにせよ、畢竟、四季折々の、かつ、今時は和洋中の多彩な総菜やディッシュを引き立たせる、けれど、内容的にはそのテーブルの<中心>的存在であることも間違いない、
そんな「ある一品:the dish」、つまり、
 
б(≧◇≦)ノ ・・・炊きたての美味しいご飯~♪
б(≧◇≦)ノ ・・・焼きたてのフランスパン~♪
 
それが、AKB48のセンターなの、鴨。だから、ならば、美味しい美味しい「サーモングラタン=まゆまゆ」ちゃん、渋い渋い「広東風鳥のうまみあえ=ゆうこ」ちゃん、キラリと光る「名古屋風リ辛味噌炒め=珠理奈」ちゃん、印象鮮烈「関西風香味野菜の豚挽肉たまごとじ=美優紀」ちゃん、「やわらか仔牛のトマトソースあえ=友」ちゃん。そして、清新かつ芳醇な「鹿児島産黒豚と黒酢で作った夏野菜酢豚=ゆきりん」ちゃん・・・。
 
等々綺羅星の如き才能群は、人気絶大であり、かつ、彼女達一人ひとりがソロでも一枚看板になり得る逸材であるとしてもAKB48のセンターに向くとは限らないの、鴨とも。


 
 
 
 
 

この経緯は昔、それは昔、ミル・マスカラスやアブドラザ・ブッチャー、ジャイアント馬場アントニオ猪木、アンドレ・ザ・ジャイアント、カール・ゴッチ、タイガージェット・シン、ドリー&テリー・ファンク兄弟等々、個性的な才能が咲き競っていた世界のプロレス界では、ある意味、最も地味なハリー・レースが長らく、本当に長らく世界のプロレス界の「頂点=NWA世界チャンピオン」の座に君臨し続けたことと一脈通じること、鴨。
 
蓋し、「美獣=ハリー・レース」の(ⅰ)安定感と(ⅱ)「おもしろみのなさ=無色透明さ」、加之、(ⅲ)それでいて光る何かがなければ、ミル・マスカラスの空中殺法も単なるサーカスの飛んだり跳ねたりの類の演技にすぎず、数多の「悪役=ヒール」のセクシーなほど残忍な演技も<白昼に出た幽霊>の如くまぬけなものに終わったの、鴨。と、そう私は考えるのです。

 
 
 
 
 
 
畢竟、この経緯は、それこそ、つまらない程の安定感に包まれた大山康晴永世名人なかりせば、伝説の鬼才・升田幸三第四代実力制名人の輝きもなかったことともパラレルなの、鴨。自民党の安定政権が続いたからこそ、左翼・リベラルからの天衣無縫(「無責任」かつ「荒唐無稽」とも言う。)な言説もまた輝きを帯びることができたこととも。
 
而して、そう考えれば、「敦ちゃん卒業」という近未来の事態を受けた今、AKB48に求められているセンターの人選は自ずと明らかなのではないでしょうか。そう、それは炊きたての美味しいご飯
 
いずれにせよ、マニフェストが総崩れになったにもかかわらず、加之、<2011年3月11日午後2時46分>の東日本大震災の対処でも復興においても無能無策ぶりを炸裂させている民主党政権には、前田敦子さんの清々しいばかりに潔い身の処し方を学んで欲しい。まあ、無理だろうけれどね。と、そう私は考えます。
 
尚、AKB48を巡る私の基本的な考えについては
下記拙稿をご参照いただければ嬉しいです。
 
・AKB総選挙という<窓>から考える生態学的社会構造の実相
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11149135553.html
  
 
б(≧◇≦)ノ ・・・敦子さん凄い決断だったよぉ~! 感動したよぉー!
б(≧◇≦)ノ ・・・志津香ちゃん、もし天命降下の際には、遠慮も躊躇もしないでね~!
 
 

 

 

 

 

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自薦記事一覧:保守主義の憲法論-憲法の改正/破棄を求めて

2012/03/21 13:31

 

 

 

憲法改正、若しくは、憲法の破棄により新憲法の制定を期す動きが顕在化してきたように思います。実に、喜ばしい。実に、喜ばしいことではあるけれど、逆に言えば、当然のことと言うべきなの、鴨。
 
他方、例えば、報じられている自民党や維新の会の改憲案が俎上に載せている改正されるべき「憲法の改正内容」のほとんどは、憲法論的には憲法の改正なり憲法の破棄をするまでもなく、現行憲法の解釈からも導かれるものではある。すなわち、
 
集団的自衛権は憲法の本性と概念から自明のこと
 
②天皇が日本国の元首であることは(あるいは、日本国が「立憲君主制」の国であることは、「元首」や「立憲君主制」という言葉の定義問題に収束するものの、いずれにせよ、)普通名詞の「日本の憲法」の本性と、憲法慣習からこれまた自明のこと
 
更には、③外国人参政権の否定は「主権国家」を前提とする近代的意味の憲法の本性と概念から当然のことであり、④国民に国防や日本の社会に自生する伝統尊重の義務が存在することもこの経緯とパラレル

 
この③④の点を巡って敷衍しておけば、
 
例えば、(ⅰ)「近代的意味の憲法」は、国家権力により(教会や領主勢力、若しくは、ギルド組織等々の)中間団を粉砕すると同時に、(ⅱ)権力分立の規定、および、国民多数の意志によってさえも侵害されることのない個人の尊厳と人権の価値によってその国権力を縛るものであり、要は、憲法は国家権力に向けられた規範であり、その憲法に国民の義務を書き込むことは論理矛盾である
 
等々の、左翼・リベラル派のロジック(「朝日新聞」や「岩波書店」のロジックとも言う。)は、フランス流のある特殊な世界観を共有する人々の間でのみ<神通力>を帯びうる単なるイデオロギーにすぎず、その憲法基礎論的な根拠性は極めて怪しく脆弱であることは、英米の憲法の歴史と内容を紐解けば誰しも認めなければならないことなのです。

 

 


 
 
畢竟、これらの事柄を鑑みるに、繰り返しますけれども、現行憲法の改正や破棄は、少なくとも、①~④のためには不要と言えば不要なのです。けれども、私は、<2011年3月11日午後2時46分>の東日本大震災翌年、2012年の現在、現行憲法の改正、若しくは、破棄を希求します。なぜか、なぜなのか、
 
すなわち、憲法とその改正には「政治的な国民教育・啓蒙」の意味もあるから。ならば、大東亜戦争後のこの社会で跳梁跋扈し猖獗を極めた戦後民主主義によって、荒唐無稽な憲法解釈の手垢に塗れてきた現行の憲法を、お芝居としても、儀式としても、改正することには政治的と社会的な意義がないことはないの、鴨。ならば、憲法の改正は粛々と断行されるべきなの、鴨。否、現行憲法の破棄と新憲法の制定が寧ろ望ましいくらいであるとも。と、そう私は考えるからです。
 
而して、保守派の同志の皆様に対して、以下、海馬之玄関にこれまでアップロードした「保守主義の憲法論」を巡る過去記事のリストをまとめることにした所以です。これらが、些かなりとも憲法改正/憲法破棄に向けた皆様の思索と行動の参考になれば嬉しいです。 
 
 
尚、「過去記事一覧」ではあるにせよ、わたくし的には本稿には些か気合いを入れたこともあり、本稿の画像には、弊海馬之玄関ブログでは「神功皇后」と同一神格の<キムヨナ姫>のものを投入することにしました。キムヨナ姫が保守主義の同志である経緯は、下記「愛国心の脱構築」をご参照ください。而して、
 
б(≧◇≦)ノ ・・・憲法改正/憲法破棄!
б(≧◇≦)ノ ・・・いずれの回路を辿るにせよ、実質的な<新憲法>の制定を!
б(≧◇≦)ノ ・・・共に闘わん!!

 
 
 
 
 
 

憲法基礎論-概念論:憲法とは何か?
 
憲法とは何か? 古事記と藤原京と憲法 (上)~(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60444652.html
 
・保守主義-保守主義の憲法観
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60996566.html
 
・定義の定義-戦後民主主義と国粋馬鹿右翼を葬る保守主義の定義論-
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60902921.html
 

・憲法無効論の破綻と政治的な利用価値
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11139110100.html
 
憲法基礎論から考える憲法と条約の優劣-TPP協定は内閣の専権事項? (上)(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60870291.html
 
・資料:英文対訳「大日本帝国憲法」の<窓口>
(付録として「告文・憲法発布勅語・上諭」の現代語訳も収めています) 
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60942195.html
 
  
 
 
 
 
 
 憲法基礎論-価値論:憲法が守護すべき価値とは何か?
 
天皇制と国民主権は矛盾するか(上)~(下)
  http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60944485.html
 
・民主主義の意味と限界-脱原発論と原発論の脱構築
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60588722.html
 
憲法における「法の支配」の意味と意義
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60191772.html
 

・中川八洋「国民主権」批判論の検討(上)(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60044583.html
 
・書評☆中川八洋「正統の憲法 バークの哲学」(上)(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60034240.html
 

・「女性宮家」は女系天皇制導入の橋頭堡
 :「女性宮家創設をどう思う?」-私家版回答マニュアル
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60907124.html
 
・女系天皇憲法違反か
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59879735.html
 
・覚書★女系天皇制は<保守主義>と矛盾するものではない
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60896992.html
 
 


 
 
 
 
 
保守主義とナショナリズム-保守主義とは何か?
 
・保守主義の再定義(上)~(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60444711.html
 
・「左翼」という言葉の理解に見る保守派の貧困と脆弱(1)~(4)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60002055.html
 
・愛国心の脱構築-国旗・国歌を<物象化>しているのは誰か? (上)~(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60640144.html
 
・「偏狭なるナショナリズム」なるものの唯一可能な批判根拠(1)~(6)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59953036.html
 
・風景が<伝統>に分節される構図(及びこの続編)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60167130.html
 
 
・第二の中世の“今”考える「中世とは何か」
 -平清盛が先鞭をつけ足利尊氏が確立した日本(上)(下)
  http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60973401.html
 
・『平清盛』における「王家」という用語の使用に対する批判への疑問
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60981201.html
 

・キムヨナを<物象化>する日韓の右翼による社会主義的言説
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59298740.html
 
・覚書★保守主義と資本主義の結節点としての<郷里>(上)~(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60918924.html
 
・戦後責任論の崩壊とナショナリズム批判の失速
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59898544.html
 


 

 
 
 
 


 憲法各論-保守主義からの憲法解釈
 
集団的自衛権を巡る憲法論と憲法基礎論(上)(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60444575.html
 
国連憲章における安全保障制度の整理(上)(下)
  http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/57964889.html
 
・非常事態条項の不在は憲法の不備か
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60437971.html
 

・戦争責任論の妄想:高木健一『今なぜ戦後補償か』を批判の軸にして(上)~(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60939316.html
 
・サンフランシスコ平和条約第11条における「the judgments」の意味(上)(下)
  http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60937343.html
 
・「従軍慰安婦」問題-完封マニュアル(上)~(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60931202.html
 

・首相の靖国神社参拝を巡る憲法解釈論と憲法基礎論(1)~(5)
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11144005619.html
 
・公務員労組と公務員の政治活動を巡る憲法論(上)~(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60705995.html
 
・外国人地方選挙権を巡る憲法基礎論覚書(壱)~(九)
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11142944811.html 
 
 
 
  
 
 神功皇后
 
 

 

 

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吉本隆明が亡くなったらしい、<擬制>ならぬ戦後民主主義の終焉もいよいよ間近ということ、鴨

2012/03/16 11:29

 

 

 

 

今朝、NHKのカーネーションを見ようと珍しくTVつけたら、吉本隆明氏の訃報が流れていた。蓋し、<擬制の終焉>ならぬ戦後民主主義の終焉もいよいよ間近ということ、鴨

 


 吉本隆明氏が死去 よしもとばななさん父 戦後思想に圧倒的な影響
文学、思想、宗教を深く掘り下げ、戦後の思想に大きな影響を与え続けた評論家で詩人の吉本隆明(よしもと・たかあき)氏が16日午前2時13分、肺炎のため東京都文京区の日本医科大付属病院で死去した。

 

 87歳。東京都出身。葬儀・告別式は近親者のみで行う。喪主は未定。今年1月に肺炎で入院し、闘病していた。長女は漫画家ハルノ宵子さん、次女は作家よしもとばななさん。

 

 1947年東京工大卒。中小企業に勤めるが組合活動で失職。詩作を重ね、「固有時との対話」「転位のための十篇」などで硬質の思想と文体が注目された。戦中戦後の文学者らの戦争責任を追及し、共産党員らの転向問題で評論家花田清輝氏と論争した。

 

 既成の左翼運動を徹底して批判。「自立の思想」「大衆の原像」という理念は60年安保闘争で若者たちの理論的な支柱となった。詩人の谷川雁氏らと雑誌「試行」を刊行し「言語にとって美とはなにか」を連載。国家や家族を原理的に探究した「共同幻想論」や「心的現象論序説」で独自の領域を切り開き、「戦後思想の巨人」と呼ばれた。

 

 80年代はロック音楽や漫画、ファッションに時代の感性を探り、サブカルチャーの意味を積極的に掘り起こした「マス・イメージ論」や「ハイ・イメージ論」を刊行。時代状況への発言は容赦なく、反核運動も原理的に批判した。
 
(スポニチアネックス:2012年 3月16日

 

 

 

 

 

 

吉本隆明(よしもと・たかあき)氏は、大東亜戦争後のこの社会の戦後といわず、近代日本の駄目な部分を最もわかりやすく象徴していた人物だと私は評価しています。
 

よって、リップサービスではなくて、故人のご冥福をお祈りすると同時に、他方、大東亜戦争後のこの社会で跳梁跋扈し猖獗を極めた戦後民主主義の黄昏も押しつまり、而して、保守主義によるこの国の再構築の兆しが、畢竟、保守主義の統べる日本社会が黎明に向かいつつあることを確信しました。日本の社会にとってはそれは喜ばしい兆候、鴨と。
 

大学学部生の頃から15年以上に亘って、<吉本主義者>、および、そんな有象無象の戦後民主主義の亜流の論者達にとって、思想的な総本山的存在、若しくは、思想的な意味での最後の<避難場所:シェルター>ともいうべき存在であった「吉本隆明:よしもと・りゅうめい」の批判に取り組んできた私は、この訃報に接して、過ぎ去りし時代への郷愁と新時代の息吹との重層的な感慨を、そんなアンビバレントな感想を覚えました。

 

よく、吉本隆明氏は「下町のインテリ」と呼ばれていました。而して、私は、彼が、<東京大学>や<岩波書店>に象徴される、制度化された<知>と対峙し続けてきたという点ではこの呼称は間違いではないと思います。しかし、「大衆によりそい続けた吉本隆明」なるものとして、また、彼自身が、「大衆」なるものを自説の正当性の基盤と喧伝するを見るにつけ、<よしもとりゅうめい>において「大衆」が外化され、寧ろ、物神性をまとわされていたことを否定できないのです。所詮、「吉本隆明」もまた「進歩的文化人」の一種であり<インテリ>さんでしかなかった、と。

 

畢竟、西遊記に語られた寓話。自分の名前を呼ばれ、返事をするとその中に吸い込まれるというあの、銀角大王が所有していた紅葫蘆の寓意の如く、吉本隆明氏が「大衆」を口にした段階で、「吉本隆明」もまた<大衆>とは異質な、率直に言えば、<大衆>とは疎遠な、「大衆」を見下すインテリさんでしかなくなったの、鴨。

 

いずれにせよ、<吉本隆明>は、(哲学においては、分析哲学によってマルクス主義が粉砕され、現実においては、資本主義の強固さと保守主義の健全さ、他方、社会主義諸国のシャビーなパフォーマンスと醜悪な権力のありさまが露呈するに及び、漸次、そして、最後的には急激に)左翼の神通力が消失していった1960年代から1990年代、左翼的思想に閉じこもる日本のインテリな人々にとって、「革命の期待も希望」も雲散霧消したそんな時代に、「長いものに巻かれろ」の推奨ではなかったにせよ、「長いものに巻かれている自分達」を正当化する左翼からの最後のロジックを提供した存在だったの、鴨。閑話休題。

 

 


蓋し、「吉本隆明」はご自分でもそう言っているように、単なる「詩人」にすぎない。つまり、分析哲学、現象学・現代解釈学・新カント派という現在の現役の哲学の地平から見れば、吉本隆明氏と有象無象の左翼・リベラル派の「進歩的文化人」と呼ばれる(世界の現在の哲学の地平と水準からは、個別日本の左翼論壇でのみ生息を許された)ガラパゴス的化石である人々との議論などは、時代遅れの、かつ、一種の蒟蒻問答や傷の舐めあいにすぎなかったと私は考えます。

 

ならば。ならば、問題は、彼がその「詩人」の分を弁えず、社会思想や社会哲学の領域の問題に言及・容喙したこと。否、素人であれ、誰しも自分が感じたことどもを<表現>することを他者からとやかく言われる筋合いはないのでしょうから、問題は、素人である単なる「詩人」の思いつき的の<表現>がこの戦後の社会では大人が真面目に考究するに値するsomethingと受け取られ続けてきたことでしょう。

 

逆に言えば、この素人の戯言や床屋談義を超えるプロ側からの議論が極めて乏しかったことが問題なの、鴨。敷衍すれば、全体性と整合性と、加之、(例えば、原発問題にせよ、代々木はもちろん、新左翼のセクトにしてからが、反権力の運動がいつのまにか、しかし、必然的にそれ自体プチ権力化していく問題にせよ、)ある事柄を問題として捉える眼力の確かさにせよ、各論はともかくトータルでは「吉本隆明」を凌駕する、社会思想や社会哲学の専門家の発言が乏しかったことが、<吉本隆明>に象徴されるこの国の戦後という時代の不毛さの<正体>なの、鴨。と、そう私は考えます。

 

すなわち、例えば、朝日新聞に顕著な如く、「社説」と「歌壇」の区別のつかない<詩的言語>が横行した時代。「平和」や「民主主義」や「人権」の価値が、若しくは、「大衆」や「地球市民」の語義がアプリオリに成立するという前提の上に展開された、そう、謂わば「裸の王様」的の言説が(換言すれば、自己を人類史の趨勢や世界の良心であると詐称する傲岸不遜な言説が)この社会を覆っていた歪な時代。それが「吉本隆明」がその不健康さを体現していた、この国の戦後の社会ではなかったかということです。


 

 

 

 

 

 

蓋し、しかし、「吉本隆明」は戦後のこの社会でも、(マルクス、就中、初期マルクスを独自に読み込んだ営みを通してではありますが、)①自前で、②極めて良質かつ独創的な、③社会評論と社会批判を行った<表現者>であることは間違いないと思います。

 

 文学とは無縁の私は、彼の詩集の類は理解不可能ですが、
 
下記の三点は主義主張を超えて高く評価しています。

 

 言語にとって美とはなにか
 (勁草書房・1965年)

 

 共同幻想論
 (河出書房新社・1968年)

 

 心的現象論序説
 (北洋社・1971年, 改訂新版:角川書店・1982年)


 

 

けれども、今もそれらは読むに値するか、紐解く意味があるかと言えば、「全くない」と断言する。

 

 要は、その経緯は、例えば、(ⅰ)和算が幕末期に到達していた数学的の水準が西洋数学の<言語>に翻訳可能であり、かつ、(ⅱ)その到達水準は(就中、解析学において)同時期の西洋数学の到達水準とほとんど変わらなかった、否、一部では西洋数学の水準に20年ばかり先んじていたことが事実であっても、基礎論にしても応用数学の領域においても、知的関心を満たす目的以外で、数学を学ぶために19世紀後半の和算の書物や和算家間の往復書簡を紐解く意味はおそらくそう大きくないこととこれはパラレルなことだからです。

 

 而して、<吉本隆明>は今更読むには値しないというこの経緯は(ある意味、原典に対する誤解と誤訳の部分を除けば、横のものを縦にしただけの、加之、その縦横変換が「知的剽窃」の行為と隣接しているがゆえにでしょうか、その縦横変換のさもしさを糊塗すべく難渋な漢語表現を多用したとしか思えない、)西田幾多郎や廣松渉、丸山眞男や杉原泰雄・樋口陽一の書物を、近代日本における脆弱な西洋理解のありさまを追体験する目的以外では今紐解く意味が皆無であることともパラレルなの、鴨。もっとも、「吉本隆明は自力で思索して自前の思想を紡ぎ出した」と看做すにやぶさかではない以上、<吉本隆明>の方が<西田幾多郎>や<廣松渉>よりも遙かにましであることは再度明記しておきますけれども。

 

 尚、本稿に関しては下記拙稿も併せてご一読いただければ嬉しいです。

 

 ・読まずにすませたい保守派のための<マルクス>要点便覧
  -あるいは、マルクスの可能性の残余(1)~(8)
  http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11139986000.html

 

・書評☆戸坂潤「日本イデオロギー」
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/57957080.html

 

・「小室直樹」考
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11139844395.html

 

いずれにせよ、吉本隆明氏のご冥福をお祈り申し上げます。

 


 

 

 

 

 

 

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東日本大震災から1年、記事が書けません

2012/03/11 08:46

 

 

From nana-san's photo「Beautiful Sky of Fukushima」(March 9, 2011)
 

 

 

東日本大震災から1年、記事が書けません。<2011年3月11日午後2時46分>から1年。想うことが多くて、思うことが大きくて重たくて、記事が書けませんでした。よって、被災したブログ友の転載記事のリストのみ。共に、福島県浜通り、浪江町と南相馬市のブログ友の<声>の再録。これで勘弁してください。
 


・東日本大震災現地状況☆福島は雪
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60343727.html


ガソリンを☆東日本大震災で被災したブログ友アイアンさんの記事転載
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60344432.html


・福島県浪江町で被災したブログ友の記事転載
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60347337.html


・福島の朝☆東日本大震災被災地の現況
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60364574.html


・国道の海側が地獄のようです。
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/221b26334732163055b7874e15f20a10


・東日本大震災被災者詩集☆あれからなんにち?
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60375097.html


・東日本大震災被災者詩集☆浪江のまち
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60386161.html


・東日本大震災被災者詩集☆いま、茨城県にいます
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60394895.html


・東日本大震災被災者詩集☆温度差が埋まらない
  http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60412234.html


・東日本大震災被災者詩集☆最終回-ひっこします
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60417281.html


・一時帰宅
  http://blogs.yahoo.co.jp/nana7pannda8/38522150.html
 

・東日本大震災が<浸透>していく情景:牛乳屋さんの訃報
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60893927.html


・「福島を除染ゴミと使用済み核の最終処分場に!」という民主党政権の“本音”が表面化する新年
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60968211.html

 

 

 


 

 

 

尚、東日本大震災が惹起した<原発問題>を巡るKABUの基本的な考えについては
 下記拙稿をご参照いただければ嬉しいです。
 

・放射能の恐怖から解脱して可及的速やかに<原発立国>に回帰せよ!
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60935787.html


・放射能と国家-脱原発論は<権力の万能感>と戯れる、民主主義の敵である
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60908495.html


・事故を乗り越え福島とともに進む☆原発推進は日本の<天命>である
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60450789.html

 

 

 

 

 で、最後もnanaさんの記事転記。

 

 

 

おもいで

 

卒業式。
写真とりまくったね

 

ワイワイ騒ぎながら
またねー
あとでねー
って、
帰路についたよね 

 
2012/3/11(日) 午後 0:43
 
 
転載元:
http://blogs.yahoo.co.jp/nana7pannda8/39179618.html

 

 

 

 

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朝日新聞の詐術批判:「落ちこぼれゼロ法」の不評から橋下流教育政策の批判は演繹できない

2012/03/04 14:01

 

 

 

 

本日、2012年3月4日、朝日新聞は全8段の半分をさいて「橋下教育政策に先行-学校に競争 米改革不評」「学習内容に偏り 教師は疲弊」という記事を掲載していました。要は、子供達の自主性よりも子供達の基礎学力の充実を目指した、ブッシュ政権の所謂「落ちこぼれゼロ法:No Child Left Behind Act」(2002-2003)がアメリカでは評判が良くないというもの。蓋し、噴き飯ものの記事だと思います。
 
なぜならば、(ⅰ)同法はその立法趣旨に書かれている如く、「今後12年間ですべての生徒が100%読み書きできるようにすること」を目標としていることに明らかなように、(実質的に、英語の母語話者ではないヒスパニック系の子供達のみならず)多くの子供達が読み書き算盤ができないアメリカ社会で、将来の「人材=労働力」のボトムアップを狙ったものであること。
 
加之、(ⅱ)アメリカでは、合衆国連邦憲法上、連邦政府にそもそもコースト・ツー・コーストの教育内容を定めその教育内容を具現するための人事・予算を采配する権限は与えられておらず、よって、同法のスキームは、(ⅱa)各州に「あらゆるグループの生徒が当該の州の学習標準に順当に毎年前進していることを示すよう義務ずけること」、そのために、(ⅱb)各州が「2005年秋までにすべての教室に良質な教師を配備すること」、(ⅱc)これらの目標を達成するべく学校には補助金(Title I)を配布し、2年連続して目標を達成できなかった学校は補助金の対象から外す。かつ、(ⅱd)この謂わば「落第した学校」の近傍の地域の子供達には他の学校に通う交通費等を支給し、更には、3年~5年連続で「落第した学校」は州政府の管轄下に移し、チャータースクール化、若しくは、バウチャー制度での代替を含め抜本的な改善ステージに移行させる、というもの。
 
而して、(ⅲ)現下のアメリカでの「落ちこぼれゼロ法:No Child Left Behind Act」の核心は、(ⅲa)税金の無駄遣いではないか(教育とは、自己責任の原則の下、各家庭がその自己負担で行うべきものではないか)ということであり、毫も、(ⅲb)「落ちこぼれゼロ法:No Child Left Behind Act」施行以前の「子供達の自主性」と「現場教師の自由裁量」に回帰すべきだというものなどでは断じてないからです。
 
寧ろ、(ⅳ)アメリカでは、この「落ちこぼれゼロ法:No Child Left Behind Act」の施行によって(就中、(ⅱa)の学力調査とその結果の公表の制度化によって、我が国では石原都知事が教育改革に踏み出す前の、例えば、葛西南高校の如き都立の問題高校の生徒達もかくばかりの)アメリカの子供達の凄まじい学力のあり様が白日の下に曝されることになり、「教育水準の低い家庭のそんな子供達の面倒まで税金で見るのは勘弁」という認識が確定したこと。
 
よって、(ⅴ)我が子の教育を重視する家庭の多くは(それは「the 99%」とは言わないけれど、「落ちこぼれゼロ法:No Child Left Behind Act」の廃棄と代替案の主張をフォローする限り、間違いなくアメリカの有権者国民の過半を超える家庭でしょう!)、「ゆとり教育」的なものではなく、要は、すべての子供を平等にではなく、その家庭に教育力のある、かつ、意欲と資質のある子供達にきちんとした基礎学力を身につけさせる教育制度を、すなわち、「橋下教育政策」的な教育を希求しているとさえ言えるのですから。

 

いずれにせよ、多くの子供達が、文字通り、「読み書き算盤」ができないアメリカの事例を橋下氏が論じている教育改革と同一に論じるのは、故意とすれば詐欺であり、過失とすれば、日米の比較教育論のイロハの知識さえ欠いた杜撰な主張である。そう言う他はない。と、そう私は考えます。
 
 
 


 
 

換言すれば、朝日新聞のこの記事は、それが「ゆとり教育」的ものからの脱却を目指した「落ちこぼれゼロ法:No Child Left Behind Act」が現下のアメリカの社会で厳しく批判されていることを正しく報じているものの、その批判の核心が実際には「ゆとり教育」的ものや「国家が子供達の学力に責任を持つという社会主義的な立法目的」に対する、自己責任の原則を奉じる保守主義からの批判である点を故意か過失か看過していること。加之、(そのアメリカ社会ではほとんど全く影響力のない、「子供達の自主性」と「教員の自由裁量」を金科玉条といまだに考えるリベラル左派のコメントを紹介して)、あたかも、「落ちこぼれゼロ法:No Child Left Behind Act」への批判が「ゆとり教育」的ものへの回帰の萌芽でもあるかのように報じている点で噴き飯ものの記事にすぎない。
 
と、そう私は考えます。畢竟、この朝日新聞の杜撰な記事の如く、左翼・リベラル派からの橋下流教育政策への批判は今後も繰り返されることでしょう。他方、民主党政権による教育破壊政策は現在進行形の事態でもある。而して、おそらく、(国民から評判の悪い「ゆとり教育」という名称は流石に用いないでしょうが、基本的には、そう、「饅頭のあんこ」の部分としては)彼等、左翼・リベラル派がその政策の復活を狙っているであろうあの「ゆとり教育」を今反芻しておくことは満更意味がないことではないの、鴨。よって、この反芻に関しては下記拙稿をご参照いただければ嬉しいと思います。
 
と言っても、御用とお急ぎの方も少なくない、鴨。而して、下記拙稿の結論を先に述べておけば、蓋し、ゆとり教育路線の前提には3個の誤算があった。これらの誤算ゆえにゆとり教育は、実は、一部保守改革派も支持する雄大な構想を持ちながらも「砂上の楼閣」に終ったとそう私は考えています。
 
民主党監視塔☆ゆとり教育路線の前提と誤算
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59055281.html
 
 
б(≧◇≦)ノ ・・・ 橋下流教育政策、断固支持!
б(≧◇≦)ノ ・・・日本の子供達のために、共に闘わん!


 

 

 

 

 

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大阪市役所、腐りすぎなんだが

2012/03/02 10:33

 

 

 

 

昨日、散歩の途中でたわわに実った橙を見て、「あっ、水やりの時間はいつだったっけ」とか咄嗟に思った、これピグライフ第二期症状なの、鴨。KABUです。ということで、ブログ復帰リハビリのために、ブログ友のvanilleさんの記事連続転載。まずは、報道の紹介から。
 


        
 


◎大阪市長選で市幹部の不正発覚! 勤務中メールで「平松氏と国会議員の面談調整」
大阪市職員の労使関係や服務規律に関する実態調査を行っている市特別顧問、野村修也弁護士らでつくる第三者調査チームは1日、橋下徹市長に対し、調査内容の中間報告書を提出した。この中で、昨秋の大阪市長選に絡んで、幹部職員が勤務時間中に業務用の庁内メールを使い、平松邦夫前市長と国会議員の面談を調整していた事実が見つかったことを明らかにした。
 

 

庁内メールの調査は幹部150人を対象に行われたが、当事者の了承を得ずに実施したことに対し、市内部からも批判が上がっていた。中間報告からは、市幹部が本来の職務と関係ない市長の選挙運動に深く関与していたことがうかがわれ、新たな問題となりそうだ。
 

 

中間報告では「市の管理職職員が、勤務時間中に、選挙対策を打ち合わせるために、市役所の公用メールを発信している事実が見つかった」と記載。平松前市長と国会議員の面談調整などがあったことなどを指摘するとともに、「管理職の証言によれば、選挙期間中、現職市長(平松前市長)の街頭演説の日時等に関する連絡が『総務的な事務連絡』として、口頭で市職員に対して広く行われていた」とも指摘している。
 

 

また、市環境局の現業職採用に関し、採用面接の際の申込書(履歴書)に市議や組合役員、人事部局幹部などの名前が記載されていたことを示す痕跡が多数見つかるなど、採用の口利きをうかがわせる資料も発見。組合に対し、取り決めにないルール違反の便宜供与や、本来専従の組合幹部でない職員が組合活動に専従する実質的な「ヤミ専従」ととれるケースも確認されたという。
 

 

野村弁護士は「調査結果は3月末にまとめる。意見には真摯に耳を傾け対策を取りながら調査したい」としている。
 

産経新聞3月1日14時26分
  
 

 

 

 

庁内の業務用メールを使ったやり取りを当事者の了承を得ずに、って、パブリックのメールを当事者の了承って必要なの? プライベートじゃないんでしょ。業務中に庁内の業務用メールを使ったやり取りでしょ。批判が出るとか意味分からん。
 

と、思ってたら、やっぱり見られたらマズイ内容のメールが出てきちゃいました、大阪市☆キラッ
 

大阪市の市民は、こういう腐った豚達のために今まで税金を一生懸命納めていたんですね。可哀想…。
 

一回、市役所員、全員、面接と公務員試験を受けなおさせたほうが良いんじゃないの?
 腐ってるレベルじゃないわ。
 

橋下さんを批判する人もいますが、確かにやり方は強引で、ときどき「ん?」と思うようなことも言い出してますが、じゃぁ今まで橋下さん以外で大阪市の膿を搾り出した人いますか?つうの。
 

今までの市長、みんな当選したら、すんなり膿の親分に納まって、更に膿を膨らませてたじゃない。
 
おいらはやっぱり橋下さんを応援しますわ。
 

もちろん、は? 馬鹿なの? 死ぬの? みたいな事言い出したら、手のひら返したように批判しますけど、今のところは大体において賛成です。
 

小学生の落第は飛び級制度と先生の教員免許更新の適正テストも入れるなら賛成です。登校拒否で学校に一度も行かないのに卒業OKとか、無いわー。
 

今の大学生の24%が「平均」の概念が分からないとか、ゆとり教育始めたの誰だよオイ。
 

おいら、結構頭悪いけど、平均とか分数の足し算とか位なら覚えてるぞ。(√とか因数分解とか、実生活で必要ないものは全然覚えてませんけど)つうか、平均とか分数とか社会に出たらかなり頻繁に使うぞ。概念が分からないとか、どうやって大学入学できたんだ?落第制度、やっぱり必要なんじゃないの? 今の日本に。
 

とにかく、批判もありましょうが、橋下さんにはがんばっていただきたい。
 
やっぱりそう思いました。
 

でわでわ
 

転載元: vanilleめもちょう
 

 

 


 

鯛の本場、明石や房総の「腐った鯛」どころか、琵琶湖辺りでは、鮒は<少し腐った>くらいがちょうど美味しいけれど・・・。大阪の腐った市職員は煮ても焼いても喰えない、鴨。
 

でも、他府県の水を汚すわけにもいなかいから、京都は鴨川の六条河原で斬首・梟首、若しくは、石川五右衛門の故事に則って釜ゆでというのも難しいの、鴨。なら、日教組の教職員ともども大阪市職員の彼等は東淀川は上新庄か淡路辺りで淀川に捨てるしかない、鴨。
 

うにゅ、でもそうしたら、ちょびっと下流(徒歩18分!)の西中島南方辺りの淀川区住民から、
 

б(≧◇≦)ノ ・・・「産業廃棄物」の不法投棄だぁー!
 

と、クレームが出されるの、鴨。ちなみに、公道で車にひかれちゃったた猫ちゃんやらハクビシンのご「遺体」は「一般ゴミ」扱いですよ、為念。と、近江の鮒寿司の画像の前でvanilleさんの記事は転記終了。
 


 

大体、「業務用メールを使ったやり取りを当事者の了承を得ずに、って、パブリックのメールを当事者の了承って必要なの?」って、当事者の了解なんかいるわけないです。法律的にもね。ただ、そのメールの内容が「職場の共通の同僚の結婚式のご祝儀の金額の相談」とかのグレーゾーンに属するものに関しては、それを公表するのは違憲の疑いが濃くなるでしょうね。でもね、それらにしても、「当事者の了承を得ずにしかるべき担当部局が確認すること」に限れば違憲性は皆無。と、そう私は考えます。
 


而して、加之、
 

蓋し、畢竟、
 

>今まで橋下さん以外で大阪市の膿を搾り出した人いますか?つうの。
>今までの市長、みんな当選したら、すんなり膿の親分に納まって、更に膿を膨らませてたじゃない。
>おいらはやっぱり橋下さんを応援しますわ。

 

に全く同感です。要は、憲法改正、教育現場と自治職員の規律を糺すこと、
 
成長戦略の推進と小泉改革の再起動は全面的に支持できるということ。
 

簡単な話、私は「コアの自民党支持者」ですけれども、しかし、私は「一人の政治家や思想家にすべてを期待しない」人でもあります。よって、①今の時点の大阪市長としてのタスクを実行する資質と姿勢、加之、②55年体制(民主党政権の施策はそれ以外の何ものでもないでしょう。)の微睡みから本当に脱却して、小泉改革の再起動と地方再生の同時実現という旗幟を自民党に鮮明にさせる(自民党に「ルビコン」を渡らせる)モメンタムとしては、橋下氏は支持できる、鴨。と、そう私は考えます。
 

つまり、これまた、私も、
 

>もちろん、は? 馬鹿なの? 死ぬの? みたいな事言い出したら、
>手のひら返したように批判しますけど、今のところは大体において賛成です。

 

ということ。尚、公務員と公務員労組の政治活動の自由の問題、及び、橋下氏支持に関する私の基本的な考えについては下記自家TBした拙稿をご参照いただければ嬉しいです。
 

・公務員労組と公務員の政治活動を巡る憲法論(上)~(下)
  http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11145098802.html
 

・橋下市長を「応援」する理由-規定演技で合格点を取れなきゃ保守も反日もないですよ
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11136217070.html
 

・稲田朋美氏を総裁にの声について考える
  -「真正保守」なるものは百害あって一利くらいのものでしょう
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11139942597.html
 

・政権奪還の順路☆自民党に期待すること/期待すべきではないこと
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11139938039.html
 

 

 

 

 

腐った大市職員を淀川に沈め、

綺麗な大阪と日本を取り戻そう~!
 

 

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南京大虐殺40万人てw -南京大虐殺はあったの、鴨。でもね、それが何か?

2012/02/29 21:00

 

 

 

以下、ブログ友の記事転載です。
 

    
    
 

 

ども。今日は冷たい雨っす。 ヴァです。
 
昨日、ニュース見てたら、石原都知事が
 

◆河村市長発言に賛意=南京事件で-石原都知事

東京都の石原慎太郎知事は24日の記者会見で、河村たかし
名古屋市長が1937年の南京事件を否定する発言をしたことに
ついて、「河村市長の言うことは正しい。彼を弁護したい」との
考えを明らかにした。

 


知事は「当時あれだけの装備しかない日本軍が、あれだけの期間に
中国が主張する)40万人を物理的に殺せるわけがない」と述べ、
大量虐殺はなかったとの認識を示した。

 


また、自身を党首とする新党構想に関連し、「私が参加するなら
憲法破棄を持ち出す」と述べ、新党を立ち上げる場合には、綱領に
現行憲法の破棄と新憲法の制定を盛り込む意向を表明した。
 

 

知事は「主権を奪われた国が占領のためにつくられた憲法
中心とする法律体系を独立した後でも続けることは、歴史的に
正統性がない」と語った。


(時事通信)
 

http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2012022400748
 

 

って言ってたそうです。
 

え? 30万人じゃなかったっけ? あれ? 
 
当時の南京の人口はどう見積もっても20万人だったんでしょ?
 あれ? いつの間に10万人増えた?
 
つうか、10日やそこらで40万人も中国人(もちろん40万人もの中国人が無抵抗なわけ無いでしょ?)を虐殺できてたら、今頃日本はアメリカに勝って、戦勝国となり、中国からも戦争に参加すらしていない韓国からも謝罪と賠償!とか言われないはずですよね?
 

すげぇ、日本の軍人。刀一本で40万人? スーパーサイア人かっつうの。
 
刀はね、骨に当たったら刃こぼれすぐにするし、3人も切ったら脂肪で全然切れなくなるらしいですよ。一体、当時、南京に何本の日本刀があったんでしょうね?
 

死体は川に流したから証拠は無いアルって中国は言ってるそうですが、40万人も川にしたら汚染で感染症とかで更に死者が出るんじゃないかと思うんですが。
 

因みに、東京大空襲での死者は(調査によって数がまちまちではっきりしないそうですが)10万人だそうですけど。(当時の東京の人口は680万人弱だったらしいですが、空襲当日は招集や疎開などで280万弱まで減っていたので東京の人口自体がかなり少なかったらしいです)1坪あたり10本も焼夷弾が落ちたそうです。
 

2ちゃんねるの旧日本軍最強伝説コピペ
 
(超長いので読まなくてよろしい)
 

 

◎旧日本軍最強伝説
兵士1人が日本刀1本で100人以上斬り殺せるほどの戦闘能力と有り余る予備の日本刀を持ち、
銃剣と単発銃のみで80万人以上殺すなど、原爆以上の破壊力を持つ携行兵器を誇り
各植民地で無駄に現地人を殺してまわるほど武器弾薬が余っていて
中国で320万人もの現地労働者を動員し、そのうち100万人が死に、機密保持の為に1万人を
生き埋めにするほどの労働条件でも反乱を起こさせないほどの統率能力を使って、
国境地帯に計19ヶ所、4700kmにおよぶ要塞および1700kmもの地下要塞を作り、
さらにこの超巨大要塞を60年間に渡って秘匿しつづける程、情報管理が徹底していて
沖縄で米軍上陸後も市民に玉砕命令が出せるほど命令系統がしっかりしていて

 

 

何百万人を殺しておきながら、戦後半世紀以上も、殺害時期、殺害方法、日本兵の心理状況などこと細かな内容迄隠し通す機密保持の高さを誇り

当時オランダ領だったインドネシアにも開戦前から日本軍用の慰安婦を送り込むほど先見性があり
揚子江の川幅を2m以下にしたりするほどの高い土木技術を持ち
人口20万人の南京市で30万人を虐殺し、かつその死体を1台のトラックで2週間で片付けられるほどの行動力があり
日本兵の数を上回るほどの従軍慰安婦を一日に一人あたり何十人も暴行するほど体力と食料が有り余っていて
AVが無かった時代にも関わらず慰安婦に顔射するほど独創性に富み
韓国で文化施設はもちろん一般家庭にある辞書から料理本に至るまで処分してまわるほど暇で
保護するために植民地ではなく「併合」したにも関わらず、韓国の運気を捻じ曲げるために、山の頂上に鉄杭やら真鍮杭を埋め込むほど風水に明るく
人間の脂肪から、航空燃料を作れるほど錬金術に長け
写真の影さえ消せる位の隠密行動に長け、銃殺しても血が流れない銃を開発し
韓国の優れた建築施設・街・鉄道を全て接収することなく破壊し尽くした上、新たに日本のダメな建築物に建て替えるほど資材と資財と人材が有り余っていて
当時の朝鮮の人口のおよそ半数近くを日本へピストン輸送するほど燃料と船舶が豊富で
960万平方kmもの大地をもつ中国の3分の2を支配し
家々に火を放ちまくり6年間で1万7000以上の村を焼き払うほどの行動力があり
250種類もの殺人方法を思いつくほどに残虐で

無駄に虐殺した5000万人もの民間人の死体を一カ所に集めてたっぷりとガソリンをまいて燃やすほど石油資源に余裕があり
中国の近代化を50年も遅らせるほどの徹底的な破壊を行い
わずか70万人の関東軍で戦闘の合間に20万人もの中国人慰安婦を満足させるほど絶倫で
広く険しい中国大陸を大軍勢で移動していたにも関わらず、各地区の兵士や民間人が逃げる暇も無い程のスピードで動き回るなど金メダル級の運動能力を誇り
山東省で広島+長崎の核2発分の犠牲者数を超える42万人を殺戮するほどの細菌兵器を保有し
田舎から都市部まで全ての街道を余す所無く隅々まで破壊し尽くし、さらに人気の無い山の奥深くでさえ草一本残さず毟り取る程の根気と几帳面さを兼ね揃え


11歳が戦場で暴れ回るほど若い内から逞しく、14歳で731部隊に採用されるほど医学を習得し
15歳の少年に細菌戦部隊での軍務が務まるほどの教育水準を持っていて
さらに細菌兵器開発のため20万人を生体実験出来るほど医療設備が充実しており
1941年の大東亜戦争開戦時にダム一つ作るために延べ360万人を動員し9年間に83名もの犠牲者を出し
圧倒的科学力を誇る朝鮮の反日勢力になぜか圧勝するほど運がよく
中国での最初の慰安所「大一サロン」にはハイテクエアコンを完備させ
中国呼倫貝爾市の地下に60年も見つからない、広さが東京ドーム2.5個分の毒ガス実験室を作れるほどの優れた土木技術と豊富な資源、人材を保有し
それが建設後60年間誰一人として発見できないような隠蔽を行えるほどの科学技術を誇り
半世紀以上放置されても使用出来る毒ガスを作れるほどの科学力を誇り
金の掛かる化学兵器砲弾を200万発も生産して中国全土に埋め
 

終戦間際の補給線が断たれた時期にマニラで一日3000人を殺害する継戦能力を保持し続け
朝鮮人を殺しまくりながら人口を2倍にし、その上でもともと無い記憶を奪えるという摩訶不思議な技術を持ち
日本一の深度を持つ田沢湖を朝鮮人に掘らせ
終戦後になぜか意味の無い強制連行を行いまくるほどの軍備と余裕があり
敗戦国でありながらGHQを手玉にとって朝鮮戦争を起こすようコントロールするほど政治力と外交能力に長ける

そんな大日本帝国が敗戦したことは、人類史上最大のミステリー。
 

 


おまけ
 

石原都知事「40万人を物理的に殺せるわけがない

中国政府【そんなことは無いアルよ】

中国政府【毛沢東同志は2000万人を殺したアルよ】


名古屋市長のお父さんが終戦後に南京で中国人によくしてもらったと言ったそうですが、終戦後、南京市民と交流している写真があるそうです。それでも40万人虐殺されたアル!って言い張ってる。一度言い出したら引っ込められなくなっちゃってどんどん話が大きくなっちゃった典型ですね。
 

中共は本当に嘘付くのが下手糞。国民にさえ上手に嘘つけない時点で終わってる(新幹線脱線事故とか地下鉄事故とか)。国が民主化を望んでるのに無理やり力技で独裁を推し進めてる時点で不健康な国家。
 そろそろ潮時だと思うんですけどね。
 

でも、バブルで儲かったお金で軍を強化してるからどっかとドンパチするか内戦が勃発して国が疲弊しない限りまだまだ当分独裁は続くんでしょうね。おいら、中国はそんなに嫌いじゃないんだけどな。歴史も文化もあるし。中国美術とかかなり好きだし。まぁ、国民のモラルはレベルが低いですが…。それは国がちゃんと教育しないからいけないんですけど。…やっぱり国が悪いのか。
 

ああ、日本に生まれてよかった。中国でこんなことネットに書いたら即刻逮捕されちゃう。
 

でわでわ
 

転載元: vanilleめもちょう(2012年2月25日
http://blogs.yahoo.co.jp/vanillechocolatcocote/36096358.html
 

 

 

 

 

 

以上、ブログ友のvanilleさんの記事転載でした。
 で、「南京大虐殺」というか「南京大虐殺問題」をKABUはどう考えるのか。
 

蓋し、所謂「南京大虐殺」の意味を、
 

(ⅰ)1937年12月13日から1938年2月末までの2ヵ月間に
 (ⅱ)南京城内で、
 (ⅲ)日本軍の組織的行動、若しくは、組織的統制が弛緩した日本軍兵士により、
 (ⅳ)戦時国際法上の保護を受けるべき(よって、支那軍の軍服を着用した支那兵士は含み、軍服を脱ぎ捨てた「便衣兵」は含まない、)支那の投降兵士および非戦闘員たる支那市民が
 (ⅴ)20万人から40万人が殺害された事態

 

と捉える場合、要は、東京裁判(「東京茶番」とも言う。)以来、当時の国民党政府と現在に至る中共政府が一貫して、その存在が事実であると主張している、そのような「南京大虐殺」などはなかった。と、そう私は考えます。而して、実際、そんな「南京大虐殺」があったなどとは、特定アジア側を除き、我が国ではよほどエキセントリックな論者以外は最早主張してはいないと思います。
 


けれども、「南京大虐殺」を(ⅰ)~(ⅴ)とは別の意味に捉えることは論者の自由でしょう。
 
例えば、私も、
 

①日本軍の組織的行動あるいは組織的行動が乱れた日本軍兵士の行動により一般市民の巻き添えはあったかもしれない、少なくとも、30人や300人や3000人くらいの犠牲はあったかもしれない。
 

 

而して、②1300人でも130人でも13人でもそのような犠牲者が出たことを指して「大虐殺」と呼ぶことは支那側や朝日新聞の自由。
 

 

さて、③国際法的にはサンフランシスコ平和条約・日華条約(更には、日中条約)で問題は解決している。また、④30万人なり13万人なりの犠牲者数を支那および反日の左翼・リベラル派が歴史的事実であると言うのならその<挙証責任>はそれを主張する側にある。⑤けれども彼等はその根拠を示せてはいない。
 

畢竟、⑥法的にも歴史学的にも所謂「南京大虐殺」なるものは現在時点では「存在」しない。
 
⑦ことほど左様に<南京大虐殺>なるものは現在の時点では支那-反日側の「政治的プロパガンダ」にすぎない。
 

 

加之、⑧いずれにせよ、自分が生まれる前の自国の行動に関して道義的責任など誰も負わなければならない筋合いはない。⑨「帝国主義」の掉尾を飾る時代の国際関係を現在の国際関係のパラダイムから、まして、「善悪」の範疇において評価することなどできはしない。⑩ならば、我々はそのような反日のプロパガンダに対しては断乎反撃すべきである。
 

と、私はそう考えています。
 

 

敷衍すれば、30万~40万人が犠牲になったという「南京大虐殺」はなかった。ところが、左翼・リベラル派は、「そんな犠牲者は多くなかったからといって、日本の南京での虐殺行為が大したものではなかったとはいえない」とか述べている。論外です。
 

 

すなわち、(Ⅰ)もともと、「南京大虐殺」の主張は反日側が行ったものであり、その主張の誤りは認めなさいよね。加之、(Ⅱa)よしんば、南京での「犠牲者数」が140万人であれ300万人であれ、それは国際法的には解決済みの問題であり、(Ⅱb)土台、歴史認識においてある国家の行動を「善悪」の範疇で評価することなどできはしない(正確に言えば、「評価」するのは論者の勝手であろうけれど、その「評価」が他者を拘束することなどない)のですから。

 

(Ⅱ)の点を更に敷衍すれば、つまり、「帝国主義華やかりし頃、かつ、ブロック経済圏構築に列強が駆け込んでいた頃、日本だけでなく例外なくどの先進国も「南京」程度のことはしていた」という、「悪いのは日本だけじゃないよね」という抗弁ではなく、「悪い/善い」などの評価を現在の地平から過去に及ぼすこと、若しくは、国際法を超えるなんらかの価値基準からする善悪の評価を国家の行為について行うことは(再々ですが、「評価」するのは論者の勝手でしょうが、その「評価」が他者を拘束する根拠はないのだから)無意味であるということ。 
 

要は、(甲)「大虐殺」の意味によりますけれども、「南京大虐殺」はあったかもしらんですね。(乙)で、「あった」と言われるのなら証拠を出してくださいな。而して、(丙)「あった」としてそれがどうかしましたか。それは全て解決済みの問題/善悪を巡る公共的議論が不可能な問題でしょうが、と。


б(≧◇≦)ノ ・・・南京大虐殺はあった、鴨。
 
б(≧◇≦)ノ ・・・で、それがどうしたぁ? それが何か?
 

これが私の基本的な考えです。而して、このロジックは、「南京大虐殺」だけでなく所謂「従軍慰安婦」なるものや所謂「強制連行」なるものもについてもパラレルに成立する。と、そう私は考えます。
 
尚、このロジックの詳細に関しては下記拙稿をご参照いただければ嬉しいです。
 

・戦後責任論の崩壊とナショナリズム批判の失速
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11137340302.html

  

・「従軍慰安婦」問題-完封マニュアル(上)~(下)
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11137268693.html
 
 

 

 

 

 

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新版・民主党政権とは何だったのか(続)-国家なき国家論の稚拙な暴走

2012/02/01 15:36

 

 

 

 

民主党政権は国家観を欠いている。これはしばしば指摘されることです。実際、「日本列島は日本人だけのものではない」と言い放った鳩山首相、在日韓国人から政治献金を受けていた事実が発覚したにもかかわらず毫もそのことの重大さを理解しているとは思えない菅首相。そして、「竹島は日本の領土ではない」という韓国国会議員の宣言に何憚ることなく署名してしまうその菅首相の側近議員等々。これらのことを見れば、民主党政権に日本の国家権力を担っているという意識と気概が欠落していることは間違いないでしょう。
 

しかし、私は民主党政権が孕んでいた問題は国家観の欠如ではなく、むしろ、それに憑依する国家観の歪さではないのか。すなわち、民主党政権とは<国家>なき国家論の稚拙な暴走ではなかったのか。と、そう考えています。
 

而して、本稿は前稿「民主党政権とは何だったのか」の続編であり補足。よって、繰り返しになりますが、なぜ民主党政権が誕生したのか、この点に関する認識を確認した上で本稿の考察に進みたいと思います。
 

民主党政権とは何だったのか
  http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11152117937.html
 


なぜ民主党政権は誕生したのか? 
 
あるいは、民主党政権とは何だったのか? 
 

蓋し、私はそれを、(ⅰ)現実的に<政治>が実現不可能な要求を、(ⅱ)現実の政治において極めて拙劣な政治スキルしか持ち合わせていない政党が国民有権者に実現を約束して政権を奪取した事象であり、而して、(ⅲ)<政治>には外在的と内在的の限界があることとともに、(ⅳ)<政治>が国家社会統合というイデオロギー的機能をその死活的に重要な役割としていることを、(ⅴ)この悲劇的現状を通して、日本国民が学習した事態である。
 

と、ある種、楽観的に総括しています。    
 以下、敷衍します。
 

 


◆ゲームの意味の変化とゲームのルールの変化
 再々になりますが、民主党政権の誕生は自民党一党支配体制の終焉に他なりません。自民党政権末期のこの社会を覆っていた閉塞感に耐えかねた多くの有権者は民主党に一票を投じたと言えるのではないでしょうか。
 

では、その閉塞感の正体とは何か。蓋し、それは、冷戦構造崩壊に象徴されるグローバル化の昂進にともなう(ビジネスにせよ国際関係にせよ、老後の生活にせよ就職や結婚にせよ)社会の予測可能性の低下を背景とした、<政治>のゲームのパフォーマンスへの不満であり、而して、民主党政権は(そして、ある意味、小泉構造改革も)<政治>のゲームのルールに対する異議申し立てを世論に問うことで政権を奪取したの、鴨。
 

 

予測不可能性とリスクの増大。すなわち、日本の相対的地位の低下、相対的に縮小するパイの大きさに反比例して拡大し機能不全に陥ってきた、①中央と地方の格差、②世代間格差、③国から地方への援助システム、④世代間支援システム。他方、冷戦構造崩壊の中で国家主権の原則に基づき見直されるべき、日本の安全保障政策に対する、あるいは、対特定アジア外交や日本の近現代史認識に対する事なかれ主義的で理不尽な<戦後民主主義の歴史観>の跋扈延命。そして、言うまでもなく「政財官+労組」のアンシャンレジューム体制の存在、等々。
 

これら誰が見ても、<政治>が今改革すべき現状を支配するルールが、しかし、他方、この社会の人々の(例えば、進学先・就職先の決定においても)行動のルールとして厳然と効力を維持してきていることが閉塞感の正体ではなかったのでしょうか。もちろん、例えば、かってこの社会に流布した、「番町小学校→番町中学校→日比谷高校→東京大学法学部→大蔵省」という程の予測可能性は現在では、進学においても就職においても婚活においても最早機能してはいないでしょう。けれども、大なり小なり、自分が忌避するルールに取り敢えずは従わざるを得ない現実が自民党政権末期のこの社会を覆っていた閉塞感の核心であったのではないか、と。
 

而して、民主党は、自民党政権末期、この<政治>というゲームが醸し出していた閉塞感を「政治主導=官僚支配の打破」というゲームのルールの変更を通して払拭できると喧伝して政権を奪取した。そして、所謂「事業仕分け」とはそのようなルールの変更の一斑であったのかもしれない。けれども、そのルールを変更するには民主党の政治スキルはあまりにも稚拙であっただけでなく、彼等が標榜した「政治主導」ということの中には論理的に不可能な事柄も少なからず含まれていた(後段に関しては下記拙稿をご参照いただきたいのですけれども)。と、私はそう考えています。 
 
 
民主党政権の誕生は<明治維新>か<建武新政>か
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11151958277.html
 

・政治主導の意味と限界
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11142630431.html
 

・「事業仕分け」は善で「天下り」と「箱物」は悪か
  http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11152087452.html
 


上記の考察を整除すれば、
 

(甲)グローバル化の昂進、すなわち、①資本主義的な生産様式の波及と徹底、②「科学技術=人類の生産力」の向上、③「人物金+情報」の移動流通の拡大と高度化、④予測不可能性の増大等々の諸傾向中で主権国家が行ないうる<政治>の影響力は反比例的に縮小してきた。
 

 

他方、(乙)同じくグローバル化の昂進の中で主権国家の社会統合維持のイデオロギー的機能の重要性はグローバル化の度合に比例して増大してきた。
 

 

畢竟、(丙)民主党政権とはこれら(甲)(乙)を共に看過して、かつ、ある種の「国家観-機械論的な国家論」、すなわち、権力の万能感を抱きつつ主権国家の<政治>がグローバル化の波濤に抗してその国民に保障すべき「日本国民としての一体性という政治的神話」のメンテナンスを放棄したものである。
     
 わずか数百人のカルト教団が当時世界第二位の経済大国の首都で同時多発的に化学兵器によるテロを惹起できる生産技術の高度化と流通が現実のものとなっている人類史の現在。あるいは、テロネットワークが世界の唯一の超大国に対して民間旅客機を用いて自爆テロを敢行できるようなグローバル化の昂進した人類史の段階に我々が生きていることを想起するとき私はそう断ぜざるを得ないのです。
 

而して、近代国家を取り巻く人類史の変遷にともない近代国家の<政治>のゲームの意味も変化したのだろうし、よって、その<政治>のゲームのルールも変化されなければならない。けれども、小泉政権がその端緒を見事につけたのとは異なり、民主党政権は、ゲームの変化も理解できず、よって、ゲームのルールの変更を行なうこともできず、単に、ゲームの意味の変化という与件に掉さして政権を奪取したにすぎない。それは、伝統に基礎づけられた国家観を欠く、機械論的な「国家論=権力論」の暴走だったのかもしれません。
 

 

民主党政権に憑依する歪な国家観
 機械論的な国家論。すなわち、伝統と文化と歴史を軽視する権力に対する万能感ゆえにか、民主党政権はグローバル化の昂進著しい現在、主権国家の<政治>に不可能なことを可能と錯覚した。他方、民主党政権は、グローバル化の昂進著しい現在であればこそ主権国家としての日本における<政治>がフォローすべき使命を放棄した。それは、伝統と歴史を苗床とした日本人としてのアイデンティティーを日本国民に供給しつつ、この社会を社会的に統合するイデオロギー的責務です。
 

この点を、このブログでも何度か引用してきましたがゲルナーはこう述べています。
 

 

ナショナリズムがその保護と復活とを要求する文化は、しばしば、ナショナリズム自らの手による作り物であるか、あるいは、原型を留めないほどに修正されている。それにもかかわらず。ナショナリズムの原理それ自体は、われわれが共有する今日の条件にきわめて深く根ざしている。それは、偶発的なものでは決してないのであって、それ故簡単には拒めないであろう。
 

 

【出典:アーネスト・ゲルナー『民族とナショナリズム』(1983年)
  引用は同書(岩波書店・2000年12月)p.96】  
 
  
 ナショナリズムと近代の「主権国家=国民国家」の関係についての私の基本的な理解については下記拙稿をご参照いただきたいのですが、もちろん、この世に普遍妥当な「日本人」なるものは存在しないでしょう。「民族」も「国家」も、よって、「日本人」も「日本」もゲルナーが喝破した通り、ある種、近代に特殊な歴史的な観念形象にすぎない。
 

・「偏狭なるナショナリズム」なるものの唯一可能な批判根拠(1)~(6)
  http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11146780998.html
 

けれども、日本国が「私は日本人である」あるいは「日本人がマジョリティーを占める社会でそのマジョリティーの支配を尊重しつつ生きている外国人である」と考えている人々、日本国民と日本市民によって構成されていること、そして、それら社会学的に観察可能で現象学的に理解可能な社会的意識によってこの社会の安寧秩序が保持されていることもまた事実ではないでしょうか。
 

ならば、そのような政治的神話としての日本人としてのアイデンティティーをメンテナンスすることは<政治>の最重要事項というべきであり、よって、「日本列島は日本人だけのものではない」と言い放った首相、在日韓国人から政治献金を受けていた事実が発覚したにもかかわらず毫もそのことの重大さを理解しているとは思えない首相。そして、「竹島は日本の領土ではない」という韓国側の宣言に署名してしまうその首相の側近議員を抱える民主党政権は、近代国家におけるナショナリズムの重要性を理解できていない、<政治>を担う資質に土台欠けていたと言うべきではないか。それは、<国家>概念を欠く歪な国家観、畢竟、国家なき国家論の稚拙な暴走だったの、鴨。と、そう私は思います。
 

国家は幻想にすぎない。それは、地球市民や国際社会が幻想にすぎないのと同じです。要は、国家は「擬制=幻想」にすぎない。けれども、その社会を構成するメンバーが国家という幻想を抱いているということは間違いのない事実であり、国家という擬制に基づいてこの社会の(否! 世界中の)人々が生活していることも明確な事実なのです。
 

而して、国家が幻想にすぎないとしても、正に、幻想や擬制そのものとして実体的な影響を国家は人々の人生や運命に及ぼしている。幻想はそれが幻想すぎないからといってその存在意義までも否定されるわけではないのです。
 

畢竟、グローバル化の昂進著しい現在、グローバル化の大津波の渦中に放り込まれながら社会生活というゲームで七難八苦に対面する運命を与えられているのが現在の人類史段階にある人間存在であり、そのような大津波が恒常的に押し寄せる国際政治や社会生活というゲームの中で自己の個性を華咲かせ感動に満ちた人生を享受したいと切に願っているのが人間の現存在とするならば、「日本国」や「日本人」という幻想が、この社会統合を維持して、グローバル化の獰猛な波濤から個々の日本人を護り、個々の日本人の願いを実現することに少しでも有効であれば、国家という幻想を社会においてメンテナンスすることは日本の<政治>にとって死活的に重要な責務であろう。而して、ナショナリズムと異質な民主党政権の機械論な国家論はこれらの<政治>の責務とは相容れないものであった。と、そう私は考えています。
 

尚、政権交代の背景と自民党再生のための施策に関する私の基本的な考えについては、
 
下記拙稿をご参照いただければ嬉しいです。
 

・稲田朋美氏を総裁にの声について考える
  -「真正保守」なるものは百害あって一利くらいのものでしょう
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11139942597.html
 

・政権奪還の順路☆自民党に期待すること/期待すべきではないこと
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11139938039.html
 

 

 

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新版・民主党政権とは何だったのか

2012/02/01 15:35

 

 

 

 

民主党政権の瓦解、あるいは、民主党の消滅は最早秒読み段階に入ったと言えると思います。而して、そのような現在の段階で、「2009年の政権交代」の意味、すなわち、その事態に至るプロセスで、自民党一党支配体制の負の側面が露呈するとともに、その自民党政権が自滅した中で起こった「民主党政権発足-大東亜戦争後初の実質的な政権交代」がどのような社会的と歴史的な構図を背景にしていたのか、民主党政権によるこの国の国力の低下と社会機能の劣化という<歴史の教訓>を無駄にしないためにもこのことを、その民主党政権の黄昏がいよいよ深くなってきた今考えておきたいと思います。
 

民主党政権とは何だったのか。
 

この問いに答えることはそう難しくないのではいでしょうか。畢竟、民主党政権の誕生とは、<政治>に期待すべくもない過大なクレーム(要求)を掲げた、自民党に比べるまでもなく力量的に極めて拙劣な政治勢力が政権を奪取したものに他ならない。そして、その悲惨な結果は最早「ヒストリー=周知の事実」であろうと。
 

民主党政権誕生の意味
 現実的に<政治>が実現不可能な要求を
 現実の政治において極めて拙劣な政党が実現を約束して
 
政権を奪取した日本と世界の悲劇 
 
   
 カール・マルクスは『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』(1852年-1869年)の劈頭で「ヘーゲルはどこかで、すべて世界史上の大事件と大人物はいわば二度現われる、と言っている。ただ彼は、「最初は悲劇として二度目は喜劇として」とつけ加えるのを忘れた」と書いていますが、今後、第二の<民主党政権誕生の喜劇>を阻止するために日本国民はどのような社会に対する理解、すなわち、社会思想を獲得しておくべきなのか。このことに答えることは実はそう簡単ではないのではないか。
 

少なくとも、その喜劇を阻止するためには、「民主党政権の誕生-自民党体制の崩壊」という現象を思想的に反芻しておく必要がある。要は、<8・30政権交代>という歴史的事実を惹起せしめた、この社会を覆っていた国家観や社会観を言葉化しておく必要があるだろう。と、そう私は考えるのです。
 

 

◆政治の外在的限界
 民主党政権誕生の意味と意義。すなわち、自民党体制崩壊の背景と構図。このことを敷衍しておきます。
 

畢竟、民主党政権の誕生は民主党の勝利ではなく自民党の敗北であった。人口に膾炙して久しいこの認識を前提にする場合、たしかに、末期の自民党政権は、体制を支える「政官財+労組」のしがらみ、そして、「中央と地方の澱んだしかしなにほどか平和的共存的な関係」に絡め取られるあまり、<政治>に国民が期待しうるsomethingの少なからずに手をつけることができないでいたと言える。
 

それは、逆に、単に郵政民営化に代表されるわずかばかりの公的サービス領域の民間移動にすぎなかった小泉構造改革が「新自由主義原理主義による既存秩序の破壊」などと喧伝されたことを想起すれば明らかではないでしょうか。蓋し、
 

自民党政権の末期は<政治>に国民が期待してもよい事柄を政治に練達する集団がネグレクトしていた体制であり、繰り返しますが、民主党政権とは<政治>に国民が期待すべくもない事柄をあたかも実現可能であると政治の素人集団が標榜して政権を奪取したものと言える。而して、両者はベクトルの向きこそ異なるものの、<政治>に期待できること期待すべきことの内容を看過していた点では同病の宿主であったの、鴨。そう私は総括しています。
 

ならば、<政治>に国民が期待すべきこと期待してもよいこととは何でしょうか。これまた人口に膾炙している手垢のついた言葉で言うしかないのですけれども、
 

それは、①グローバル化の昂進著しい、よって、日本国や米国、支那や北朝鮮を含むあらゆる主権国家の権限と権威が蚕食され漸減している状況下で、②当該の国家社会の安寧秩序を確保するためには(就中、1973年以降の数次に亘るオイルショックを経るプロセスで)あらゆる主権国家が福祉国家化を目指さざる得ないこと、③大衆民主主義社会を現下の<政治>は前提にしていることから演繹帰納できるのだと思います。
 

ホッブスは近代の主権国家を「可死の神」(確かに、それが滅びることはあり得るとしても、それが存在する限り、他国に対しては対等の、他方、その領土内ではその国民に対して最高独立の万能の権威を保持する存在)と規定しましたが、現在、唯一の超大国であったアメリカの影響力の限界を想起するまでもなく、すべての国家の能力には限界がある。そして、重要なことは、国家のその能力はグローバル化の昂進の中で人類が獲得している物理的能力の総体が加速度的に増大していることに反比例して加速度的に縮小していると言うべきことではないか。
 

蓋し、戦後のケインズ政策の流行と、1973年のオイルショック以降の財政出動による国家予算の肥大、逆に言えば、(リベラル派からは「新自由主義=自由至上主義」と位置づけられる、かのサッチャー政権やレーガン政権とその前後の政権、まして、小泉政権とその前後の政権の予算配分構成比の推移を反芻するとき)日米を問わずどの国でもどの政権でも財政規模拡大とともに予算再分配のフリーハンドの余地が極めてタイトになっている現状を見れば、「国家のその能力が加速度的に縮小している」こと、このことは思い半ばに過ぎるのではないでしょうか。
 

 

◆政治の内在的限界
 近代の主権国家においては、国家権力には、よって、<政治>にはもう一つの限界が内在している。それは、国家にはその本性として社会統合の機能が要求されているにかかわらず、他方、近代の主権国家がその権力の正当性と正統性の基盤を極めて抽象的な「国民」概念に置いていることからくる、謂わば、「手を縛っておいて泳げ」と要求されているに等しい、国家権力の社会統合機能の限界です。
 

而して、(日本で語られるそれは世界的に見てかなり歪な理解であり、ドイツ憲法の運用を見るまでもなくフランスアメリカを除く世界のほぼすべての国ではそれは「国家と宗教の分離」ではなく「社会的勢力である教会と国家権力の分離」を意味するに過ぎないとしても)政教分離原則とは近代の主権国家に課されているそのような限界の端的な顕現であろうと思います。
 

 

鰯の頭も信心から。しかし、他方、「宗教」という宗教は存在しない。この世に存在している宗教とはローマ・カトリックでありルター派であり、浄土真宗であり阿含宗である。要は、固有名詞の「宗教」を包含する普通名詞の「宗教」とは我々の観念の産物にすぎない。何を私は言いたいのか。それは、あらゆるものは宗教的観点から見られるならば宗教的であり、非宗教的に観察されればそれは単なる社会現象や経済現象や政治現象に過ぎないということです。而して、現在の国家に課されている非宗教性なるものの意味内容も実はそう明確で普遍的に妥当するものでもないということ。
 

敷衍すれば、現下の主権国家の場合、原則、その国家社会の正式メンバーであるか否かのメルクマールは国籍の有無に収斂する。ならば、その彼や彼女のDNAやエスニカルなバックグラウンド、まして、信仰や性的傾向性等々の個性は国民の要件にはなりえず、よって、例えば、日の丸や君が代に敬意を表させるとか、彼等の出身国や抱く信仰のイコンを文字通り「踏み絵」に使用する等々の、彼や彼女が日の丸や君が代に対していかなる感情を抱いているかに着目してなされる国家社会統合の施策はこれまた憲法論的に許されない。
 

けれども、他方、「国家」という国家は存在しない。例えば、この世に存在する国家とは支那でありアメリカであり英国であり、そして、我が日本である。要は、固有名詞の「国家」を包含する普通名詞の「国家」とは我々の観念の産物にすぎず、よって、ある国家権力がその国家社会統合においてその固有名詞の国家に特有の文化的と歴史的な諸アイテムを非宗教的に使用することに関しては憲法論的にも社会思想的にもなんら問題はない。
 

蓋し、(ナチスドイツの如くそれらを歴史的に特殊でありかつ民族に普遍的なもの、すなわち、実体概念として理解することは断乎拒否すべきであろうけれども)ヘーゲルの言う意味での「国家」や「絶対精神の歴史的顕現としての時代精神」とは実はそのような端的には非宗教的で現在の憲法論とも親和的な、固有名詞の国家に特有の文化的と歴史的な諸アイテムを包含しているのではないかと思います。
 

畢竟、ある国家がその国家社会形成の素材となった諸民族の歴史と文化に内在するsomethingを国家社会統合の施策に使用すること自体に問題はない。而して、現在では政教分離原則を踏みにじった逆切れ的言説として理解される向きも少なくない、大東亜戦争の戦前にこの社会で流布した「国家神道は宗教に非ず」というテーゼは満更40年体制をリードした国家社会主義的官僚の詭弁ではないのではないか。ここのとは、例えば、ローマ・カトリックが上智大学の学生教職員を含む日本のカトリック信者に対して、大東亜戦争の戦中、そのような非宗教的な神道儀式に参加することはその国の国民の義務であると明確に諭し、基本的に現在に至るまでその理解をバチカンは維持している経緯を反芻するとき、私にはそう思えるのです。
 

蓋し、このテーゼに悪乗りした右翼や朝日新聞等のマスメディアの言説は醜悪であったとしても、「国家神道は宗教に非ず」というテーゼは、その権力の正当性と正統性を維持するためには非宗教化せざるを得ない近代主権国家たる日本が、他方、近代主権国家の機能に対する本質的な要請としての社会統合機能のパフォーマンスを維持向上させようとする場合、実に優れた<解答>であったと言えるのではないか。
 

而して、民主党政権とは明治維新以降のそのような戦前戦後の政治の智恵を理解できなかった、まして、日本社会に歴史的に特殊な文化伝統の政治的価値など理解する素養を欠いていた、(かの偽ユダヤ人の言葉を借用すれば、「安心と水はただ」とばかりに国家社会の統合と対特定国アジア諸国&米国との関係の良好なる推移は与件であるとでも考えていたのでしょうか)端的に、国家権力に不可避的に要求されている社会統合の機能を放棄したネグレクト政権であったの、鴨。そう私は考えています。
 


◆小括
 民主党政権の誕生は自民党の敗北であり、自民党は<政治>に対する国民の期待の変化に対応することを怠ったために敗れた。何度も繰り返しますが、私のこの理解が満更間違いではないとするならば、「民主党の勝利-自民党の敗北」とは、かって、物が乏しき時代に豊富な物資を廉価に提供して隆盛を誇ったダイエーが最後には「価格破壊ほど安くはない陳腐な品揃えの退屈な店」の集団となってマーケットから退場を余儀なくされた事例と通底している。あるいは、かって「巨人・大鵬・卵焼き」と称賛された読売ジャイアンツが、否、プロ野球自体がサッカー等々の興隆の前にone of themの存在になってしまった事例とも通底しているのではないか。畢竟、万物は流転する。
 

しかし、国破れて山河あり、そして、万事塞翁が馬。
 

ならば、<政治>という概念の指示対象が変化したとはいえ、現下の日本国民は民主党政権という悲劇の学習を通して、<政治>に期待できることとできないことがあることを体得したはずである。そう私は楽観しています。ならば、自民党は、内在的と外在的の両面で限界のある<政治>という概念を踏まえながら、かつ、恒常的に変化するその<政治>の具体的な意味内容を可能な限り十全に達成することを目指すしかない。
 

畢竟、ハンナ・アーレントが喝破したように、<政治>というものが人間にとって不可避的な事象である限り、また、民主党政権の再登場という二度目の喜劇を阻止するためには、有限なる<政治>と<人間存在>にとっては取り敢えずそれが唯一の道である。自民党の政権奪還を確信しつつそう私は考えています。
 

尚、政権交代の背景と自民党再生のための施策に関する私の基本的な考えについては、
 
下記拙稿をご参照いただければ嬉しいです。
 

・稲田朋美氏を総裁にの声について考える
  -「真正保守」なるものは百害あって一利くらいのものでしょう
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11139942597.html
 

・政権奪還の順路☆自民党に期待すること/期待すべきではないこと
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11139938039.html
 

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